講演会の様子はこちらからご覧ください。(Youtube)
ご記入いただいたアンケートを紹介します。
今回の講演会で、印象に残ったものはなんですか?
- 子どもの主体性を重視し、自己実現に向けた育ちを促すことの大切さ
- 今改めて保育を考えるヒントを汐見先生の講演から学びました。特に最後の指導計画ではなく支援計画というとらえ方。
- 適応と自己実現、子どもたちを観察し評価が必要ということなど
- 0.1.2歳の丁寧な対応
- 目標を内面化させるための子供達の主体性を伸ばす関わり方
- 「SDGsの観点から見た保育のとらえかた」という発想
- もっとフレネ教育について学びたいと思いました。
- 子どもが試行錯誤している様子を大切に見守るということ
- 汐見先生のお話は、いつも、考えさせられます。なかなかそうはできないのが実情ですが、でも、いつでも根底に持っていなければならない理念だと今回も感じました。『子どもを観察するのだ』『情動が働く状態を!』『評価ではなくアセスメントを!』『カリキュラムは、本来子どもがつくるもの』などなどです。阿部先生の『仕事』の捉え方も、これからの教育を考えていくヒントを感じました。ありがとうございました。また伺いたいです。
- 自分が当事者だったらどうサポートするかという考え方。情動が動かないと学びにはならないという事。
フレネ教育は個別化と共同化によって成り立っている事。どれも初めて聞くお話で大変参考になりました。
- 子ども主体を大事にする保育、基本は子どもを信じて見守る事。また計画は自ら作った物でなければならないというフレネ教育の本質
- 考える力は自然に育たないということです。子どもに「〜だから何だったんだ」という文法で話すことで子どもの考える力が育つということです。その他では、ヘルプではなくサポートをという点です。
- 汐見先生のご講演
コロナ下における社会(保護者・子ども)の困難が予想以上に深刻化していること。
SDGsへの取り組み
たまり場をつくるということ
- 阿部先生
フレネ教育のポイント(メソッド)を明示いただいたこと
適応と自己実現の関係
仕事と勉強について等
- 保護者を取り巻くコミュニティの子ども食堂やホームスタートなどをより充実させるためにはどうしたら良いのだろうと感じました。ボランティアや寄付などでまかなっているところを、仕事として確立できたならばより重視充実したものになるのではと考えたのですが、収入源やスポンサーなどなかなか上手くいかないのが現状でしょうか。
その他、講演会のご感想など、ご自由にお書きください。
- 保育を突き詰めていくとやはり同じ到達点に行き着くことを実感しました。
- フレネ教育は2兎を追う、が印象的。コロナ禍での地域育児支援のあり方。
- 私たちができることはなにかしっかりと考えていきたい。職員のスキルアップが必要に感じた。
- コロナ禍における子どもの教育の問題点についてデータとともにわかりやすかったです
- 汐見先生の講演で、子どもの自分のやりたいことに没頭することでよりよく育つという話を聞いて、確かに仕事等でも主体的に取り組んでいる人の方が仕事がよくできていたり、何事にも楽しそうにとりくんでいるのをみて、それは子どもでも大人でも変わらないのだなということを改めて感じました。
- もっとチャットで会話をさせていただければよかったと思いました。
- 先生方のお話しは分かりやすく、また後ろに映るけやの森の映像に心惹かれました。私の園には園庭はありますが、自然物は一切ありません。自然を感じる保育をしたいと常々思っております。
乳児保育に携わる身としては、汐見先生の考える力を育てるには、体験を丁寧に言葉にして伝える、それが子どもの自主的な考える力に変わるという所が印象的でした。
- コロナ禍の自殺の増加やその支援についてはとても重要なことだと思った。汐見先生のお話の中で、今保育している0・1・2歳児への状況を丁寧に言い換えていくことが考える力を育てていく重要なこと、その後に及ぼす影響を考え、配慮した保育をしたいと思った。
- 汐見先生、阿部先生、本日は貴重な講演をありがとうございました。今回、けやの森のサイトを見させて頂きお話を伺いました。基本は子どもを信じて見守ること観察することで子どもの育ちを職員で共有できるように話し合う時間を充実していきたいと思いました。自然には育たない考える力を育てるためにヒントとなる言葉掛けを教師がもっと学んでいかなくてはならないと感じました。子どもの情動に思いを持って関わっていかなくてはいけないなと思いました。そのためには、教職員がどういうふうに保育をしていくべきかをより考えるようにしていくとよいと思いました。
- 佐藤先生、けやのもり学園の先生方、本日は素晴らしい学びをありがとうございました。
汐見先生、阿部先生、ご参加された先生方にも深く感謝申し上げます。
学び、支援、生きるということに共通するものは「自分の物語を自分で創る」ということだと感じました。物語を作るのは本人ですが、物語は何もないところから生まれるわけではなく環境(自然・社会・文化・身近にいる大人等)の中で、あえて言うなら、その物語自身も再び環境の一部になって存在・循環していくものだと思います。
環境の一端である大人の役割は大きく「教える」から「学ぶ」、「覚えさせる」から「考える」力を身に着けていくための「ヒント」を上手に投げかけていくことが大切なのだと思います。
保育所保育指針のエッセンスは「環境を通じての教育」だと思います。生活や遊びの中で例えば着脱一つにしても、着せてしまうのではなく、子ども自身が自分で着替えをするのを見守ることで、試行錯誤を通じ、子ども自身が考える機会を増やしていくことが出きます。
ちょっとした心がけだけでも、考える機会は増やすことが出来ると思います。
コロナ下において、困難が目に見えぬ部分で広がり始めています。これらの多くは人災です。偏見や互助互恵の精神の欠如、コロナは私たちに生きるとは何か?という根源的な問いを突き付けているような気がします。
フレネ教育は「やらなくてはいけないこと」を「やりたいこと」に変える教育法なんだなと改めて感じました。
本日は大変ありがとうございました。これからも温かいご指導をくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
- コロナ渦で臭いものを蓋している事などが浮き彫りになって来たように感じます。子どもの人権や最善の利益について子どもを取り巻く大人や社会、環境は大切さを訴えますが、はたして大切にされているのでしょうか?
飲食店の自粛や学校は休校や登園日数の見直しなどがあるなか、保育園では通常通りの開園。休園にしたほうが良いというわけではないです。社会が子どもを守る責任を色々なところに丸投げしているように感じられてしまったのです。子どもの人権の何を大切にしているのでしょうか?どう担保して行っているのでしょうか?
行事や集会なども制限がかかり子どもたちの知らないところで、相談も通知もなく大人が勝手に危険だから怖いからなどの理由で方向性を決められてしまいます。方向性を強く決められ、制限された中で子どもの主体性を私たちは高らかに大切だと言ってみせます。仕方のない事なのかもしれません。
子どもたちの自殺や非行は社会の口先の人権や主体性などの被害者に感じてしまいます。
そんななか、私たちはなにをもって今いる子どもたちを社会に送り出していけば良いのでしょうか?
乱文にて失礼しました。また、なかば愚痴のような意味のわからない感想文になってしまい申し訳ありませんでした。他の先生方とこういった一緒に考えて共有できる場、機会をいただき本当にありがとうございました。